中国が反発する福島第一原発の処理水放出を巡り、中国の新聞に映画「ゴジラ」を分析した興味深い記事が掲載された。中国のメディアは日本のメディアと違い、事実上国の宣伝機関である。その紙面や放送は政府や共産党の主張であり声だと言っていい。その分析とともに中国の現状と本音を探る。

8月29日、中国の新聞「環球時報」にゴジラを取り上げた記事が掲載された。タイトルは「日本映画に見る核汚染への反省の変化」。サブタイトルは「ゴジラは核の怪獣から正義のヒーローへ」だ。
内容をまとめて説明すると、当初ゴジラは度重なる核実験から生まれた怪物で、核汚染に対する反省を表すものだった。しかし時代とともにゴジラの娯楽化が進み、核への反省が弱まった、というのだ。
映画の中身や分析はともかく、中国は「処理水を放出した日本が悪い」と言い続けている。正確に言えば言い続けるしかないのだろう。間違いや変節を認められないメンツがあり、政治が全てに優先する国の体制があるからだ。実際には「もっと味方する国が増えるかと思ったが、読み誤った」(外交筋)のが実態だろう。
それでも北京の日本大使館は科学的な根拠を求める中国に専門家同士の話し合いを呼びかけている。中国は今のところ応じていない。中国から日本への迷惑電話についても何度も申し入れを行っているが、中国外務省の報道官は「状況を把握していない」と記者会見で述べた。ネット上では日本に理解を示す専門家のコメントが削除されたという。一方、ゴジラの記事が掲載された同じ日の社説には「日本は卑劣な手段を取り、中国に逆ギレしている」との主張が掲載されていた。
結果的に中国は「塩の爆買い」という国内の混乱を露呈し、日本への迷惑電話という愚行と恥を世界にさらした。多くの迷惑電話が興味本位や人の真似事として軽々しく行われていたことも罪深い。それを政府として本当に「把握していない」なら、それはそれで問題だ。
一方で日本の海産物は中国の全面的な輸入禁止措置を受け、ホタテなどを扱う水産業者らは厳しい立場に置かれている。「今こそ日本の団結を発揮すべき。政治の役割だ」(同)という指摘があるように、逆境を力に変えることが出来るのかが日本の政治に問われている。
ちなみに私は幼少期、映画「ゴジラvsモスラ」を見て、当時は悪役だったゴジラと戦うモスラの悲運に涙した。このシリーズではザ・ピーナッツがモスラを呼ぶ「モスラ~や、モスラ~」の歌声も話題となり、モスラを守ろうとした日本人の姿もよく描かれていた。ゴジラの記事を書いた中国人記者が、日本人の優しさも感じ取ってくれることを祈るばかりである。
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