落合博満の予言が的中!高卒1年目でブレイクした伝説の右腕と不敗神話の誕生

あの3冠男・落合博満氏が活躍を“予言”したスーパー右腕だった。19歳で「優勝への使者」と言われた。全身を使ったダイナミックな投球フォームで打者をなで斬った。元中日の剛腕・上原晃氏はプロ1年目の1988年シーズン後半から1軍に昇格し、主にセットアッパーとして星野仙一監督率いる中日の優勝に貢献した。

現在は名古屋市守山区の治療院などで勤務する整体師であり、東海学園大の投手コーチも務める上原氏の野球人生をクローズアップする。

当時の上原氏は沖縄水産からドラフト3位で入団したばかりのルーキー。もちろん、まだプロで結果も出していない。この沖縄1次キャンプの後に中日1軍は米フロリダ州ベロビーチで2次キャンプを行ったが、上原氏は参加していない。

“予言”は見事に当たった。上原氏は先発としてウエスタン・リーグで7連勝。ジュニアオールスターでは1点リードの8回から登板し、2イニングを無失点に抑えてセーブを記録した。150キロのスピードボールが注目を集め、シーズン後半戦に1軍昇格。

中日はこのルーキー右腕の加入で勢いを加速させ、優勝に突き進んだ。「上原が投げると勝つ」話題を呼んだ“不敗神話”

実際、上原氏はデビュー以降、すさまじい勢いでドラゴンズの戦力になっていった。3試合目登板の8月7日の阪神戦(ナゴヤ球場)では0-2の8回にマウンドへ。2回打者6人に無安打3三振無失点の完璧投球を見せた。

1年目は24登板で3勝2敗1セーブ、防御率2.35。体が柔らかく、全身をバネのように使ったフォームで剛速球を投げ込んだ。その後、まさかの故障に苦しむことになるが、ルーキー時代の上原氏の活躍はまさにインパクト大だった。

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