日本から北朝鮮に拉致された人のうち、5人が帰国してから2022年で20年となった。この年、被害者の1人で新潟県佐渡市に住む曽我ひとみさんは、これまで以上に精力的な発信を行った。報道各社からの質問に1社ずつ対応して丁寧な返信をくれ、介護施設での仕事の傍ら、何度も講演台や街頭に立ち、全面解決を訴えた。

ただ、共同通信を含めた報道各社の「帰国20年」の特集は、過去の記事との重複を避けるため、主にここ数年間の政府交渉の推移と被害者の状況に焦点が当てられる内容が多い。
曽我さんが何度も繰り返していた「拉致問題を知らない、若い人たちに伝える」という願いに、メディアは応えられているのだろうか。曽我さんの帰国当時、4歳だった私は疑問に思い、壮絶な経験を改めて取材。これまでの発言や手記から半生をたどった。

佐渡市で生まれた曽我さん。楽な暮らしではなく、母ミヨシさんは一家を支えるため家事と工場勤め、夜の内職を両立していた。脳裏に浮かぶのは、余裕があったわけではない生活に愚痴の一つもこぼさず、いつも笑顔を絶やさない母の姿だ。
曽我さんが定時制の高校に通いながら、佐渡市内の病院で准看護師として働いていた当時、患者の脈を測りやすいと選んだ男性向けサイズの腕時計は、母が贈ってくれたものだ。この腕時計は、拉致された後、くじけそうになる度に叱咤激励してくれる母同然の存在になった。

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