1995年、阪神・淡路大震災が発生した年のプロ野球シーズン。オリックスの投手だった野田浩司氏は、その年の4月21日のロッテ戦で1試合19奪三振の日本新記録を達成しました。しかし、その試合での出来事が、今でも野田氏の心に深く刻まれています。
続投志願と首脳陣の食い違い
その試合、9回裏に追いつかれた野田氏は、すでに162球を投じていました。その後、得点を許さず、奪三振数を1つ加えて「19」にして、この回まででマウンドを降りました。しかし、その時、野田氏は続投を志願していました。
「何で代えるんや」
野田氏は、降板を告げにきた山田久志投手コーチに「この試合、僕にください」と続投を志願。しかし、その要望は首脳陣に却下されました。「何で代えるんや」と野田氏は思ったといいます。
失意にまみれた不滅の記録
試合は延長10回、オリックス2番手の平井正史投手が打たれてサヨナラ負け。大記録達成の日に野田氏は白星をつかめず、チームも負けの無念の結果となりました。しかし、その記録は今でも不滅のものとして語り継がれています。
まとめ
野田浩司氏が1995年のロッテ戦で達成した1試合19奪三振の記録は、彼のキャリアの中でも特に印象的なものです。しかし、その試合での続投志願と首脳陣の食い違い、そして試合の結果は、彼にとって大きな失意となりました。それでも、その記録は不滅のものとして、今でも野球ファンの間で語り継がれています。
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